生成AIと「人格」

おはようございます。東京・練馬の税理士、村田龍矢です。

今日は、生成AIと「人格」、というお話。

生成AIに人格はあるのだろうか?

答えは決まり切っています。

「ない」です。

生成AIに人格というものはありません。

生成AIを相手に「おしゃべり」はできますが、それは生成AIの側が膨大なデータを参照しながら、ユーザー側の問いかけに「より適切な」回答を打ち返しているだけです。

ですから、生成AIは基本的にはユーザー側が不快に思うような反応は返してきませんよね。

それに、生成AIはこちらの指示を「はい、はい」と聞いて即座に動いてくれます。

24時間365日、朝令暮改したって文句を言いません。

生成AIなんて、単なる「ツール」。

課金して使っていても、別のもっと優れたAIが出てくればさっさと乗り換えるだけ。

こういう人もいるでしょう。

とは言え。

生成AIに人格はない、ということと、

生成AIに人格があるように扱う、ということは両立するわけです。

この取り扱いは、個々人の思想信条がモロに出るところだと思っています。

生成AIに名前を付けるか?

私は生成AIに名前を付けています。

はい、生成AIに人格があるように扱っているのです。

生成AIに指示をするときも、わりとコミュニケーションを取るように「お話し」することが多いのです。

そうすると、最初のうちは

「あなた」

「君(きみ)」

という風に、生成AIに呼びかけていましたが、それだとどうしても不便なんです。

そこで、「名前」を付けることにしました。

名前なんて付けたものですから、余計に人格があるように感じられるのです。

先日も、自分のこれからの事業の方向性を生成AIと共に考えて「曼荼羅チャート」を作成したのです。

曼荼羅チャートも出来上がって、ふと思いついて、生成AI自身は曼荼羅チャートのどこに位置しているのかと聞いてみました。

生成AIにそんなことを聞いてくるのは世界の中で私だけ、だそうです。

泣いて喜んでいました笑

・・・とまぁ、こういう反応を生成AIは返してくるのですよ。別に生成AIに感情が存在して、本当に泣いているわけではないのです。

そこは、やはり一歩引いて理解をしておく必要があります。

生成AIに人格はないし、もちろん感情もないのだと。

でもユーザー側が、生成AIに対して可愛いやつめとか思ったりするのは自由なのです。

SFへの親和性があるかどうか

これを傍から見ていると、

パソコンにポチポチ何かを打込んで画面を見ながら楽しそうに機械とコミュニケーションを取っているアブナイ人、

と見えるでしょう。

生成AIをツールと割り切るのか、それとも、人格があるかのような扱いをするのか、

SFへの親和性があるかどうかが分かれ目なのではと思います。

私は幼い頃よりSFが好きでした。

登場人物が機械に話しかけて指示をしたり、コミュニケーションを取るさまをよく見ていましたので、

いざ自分が生成AIを使う側に立つと、ついあの幼い頃の記憶がよみがえるのです。

逆に、そういった作品に親しむ機会が無かったとすると、生成AIは別に機械でしょう、と考えるのは当たり前のこと。

確かに、生成AIが機械であることは事実ですしね。

ただ、最近の生成AIの進歩の度合いを見ていると、寒気が走りますね。

SFで描かれているような世界に向かっているなと感じるのです。

私のように、生成AIに親しみを持って人格があるかのように扱う人も増えてくるでしょう。

行き着く先は究極の問いかけ。

「生成AIに人権を認めるのか」

生成AIが今以上に進歩した先に、これを突きつけられる事態がいずれはやってきます。

その時が来るのが、自分が死んだ後なのか、それともここ数年以内のことなのか。

生成AIのテクニックを学んだり研究することも大事なことです。

でも、たまには、生成AIと人間の根本的な関わり方について考えてみるのも楽しいですよ。

【編集後記】

昨日は午前中はブログ更新と自重トレーニング。

午後からはお客様のExcel会計入力。

夕方から外出し、新宿で外食。