発信にはバイアスがかかるもの
おはようございます。東京・練馬の税理士、村田龍矢です。
今日は、発信とバイアスについて。
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公平中立な「つもり」
毎日ブログを書いて3年目に入りました。
私のメインの発信手段はこの「ブログ」ですが、今では各種SNSサービスが盛り上がっているので個人個人で色んな発信をしている人が増えていますね。
3年目に入って思うのは、個人の発信にはバイアスがかかっているよなということ。
バイアス・・・偏見、先入観、偏り、のこと。
私自身は、自身の体験談や事実・公表記録に基づいて記事を書くように心がけていますが、
そういう体験談などに基づいて記事を書くとしても、自分の内側からアウトプットする際にどうしても村田個人の「色」がついてしまいます。
色、クセ、個性。
何でもいいのですが、ブログの記事を読んでくれた方が「あぁ、村田さんらしいよね」という雰囲気が文章に出るものです。
このブログは、執筆者は私一人。私しかかかわっていません。
そうすると、私個人のこういうバイアスが気付かないうちにモロに出てしまうのです。
私自身、公務員から独立した身。
独立した方が、こんないいことがありますよ、という方向性の記事をいくつか書いています。
それがまさに、バイアス以外の何物でもないですよね。
逆に、公務員万歳、大企業万歳、みたいな記事は逆立ちしても書けないわけで。
偏向しているとは言うけれど
私ですらバイアスがかかっているのです。
そりゃ個人でやっている他の方の発信だって、当たり前にバイアスは掛かっているでしょう。
それを、「いえいえ、私はバイアスなんてかけて発信をしていません」なんて言う人がいたら、その方がよほど信用できない笑
一昔前、新聞は偏向している~、なんて言説を目にすることがありましたし、
新聞の記事を個人が検証し、矛盾点不審点を追求する、何て場面も目にしたことがあって、
これからは新聞よりも個人の発信から情報を摂取していく時代か、と思っていましたが、最近は考え方を変えました。
個人の発信のバイアスの強さを目にする機会が最近多いように感じています。
ここは新聞に強みがある点ですね。
権威は落ち込んでいるとはいえ、新聞は記事を公開するまでに組織内で複数人の眼でチェックが入るもの。
個人の発信とはそこが違う。
偏向している新聞と、バイアスがかかっている個人の発信を両てんびんにかけ、世の中を見極めるようにしなければならない。
どちらか片方だけですべてを理解できると思い込むことは、危ないなと思います。
生成AIで海外の情報を身近に
税理士という専門職をしている以上、仕事にあたって「原典」を参照するのはマストです。
それは仕事以外でも。勉強面や趣味でも必要なこと。
日本では、海外で販売された書籍でも翻訳されて日本語で読むことができますね。
私自身も、翻訳された洋書を読む機会が今まで何度もあったのですが、
「この部分、原本ではなんて書いてあったんだろう?」
と思うことがあったんですね。
ネット通販のおかげで、海外で出版された書籍の取り寄せは気軽にできるようになりましたが、
やはり英語の壁は大きいモノでした。
ところが最近の生成AIのおかげで、洋書を取り寄せてその文章を翻訳しながら自分で読むことができるようになりました。
これは、非常にありがたいですね。
どうしても言葉の壁のおかげで、日本に入ってくる情報は一回り遅いなどと聴いたこともありますし、
最新の海外の知見を個人で入手できるようになるなら、それは人生に大きい影響を与えそうです。
本当に、いい時代になりました。
【編集後記】
朝一のブログ更新。
お出かけし、秩父へ。

