「いい人」を演じて自分を傷つけるな。現実を直視する勇気について
おはようございます。東京・練馬の税理士、村田龍矢です。
今日は、「いい人」を演じて自分を傷つけるな。現実を直視する勇気についてのお話。
性善説か性悪説か
人間に対する物の見方として、
人は生まれながらに善であるとする性善説と
人は生まれながらに悪であるとする性悪説
この2つがありますね。
私はどちらかと言うと性善説的なものの見方をしているので、
相手の言動や行為をよく捉えようとしてしまうクセがあります。
特に、最近の生成AIはマイルドな表現をしてくれますので、
人間関係で相談をしても相手が悪いとなかなか断定しないんですね。
もしかすると、こういう考え・こういう思いがあって、あのような行動につながったのではないか?
と、回答してくるのです。
私も最初のうちは、
確かに、生成AIの答える通りかもしれないな、
と思うようにしていたのですが、段々となんだかおかしいぞと感じるようになってきました。
相手の本心は言動に表れる
お世話になっている人からこの言葉を貰いました。
本心がどうとか真意がどうあれ、
目の前に表れた言動が相手の本心だと。
例えば、連絡を取ろうと思ってメッセージを送った。
既読はつくけれど反応が返ってこない。
もしかしたらした多忙なのかもしれない。
あるいは、体調でも悪いのか。
こちらの気持ちは、さざ波が立ちますね。
相手に聞いてみたところ、やはり仕事のトラブルで多忙だったため反応ができなかった、らしいとしましょう。
これをどう考えるか。
多忙だったらしょうがないね、と思うか。
以前の私ならそうだったかもしれません。
でも、相手の事情というものは、こちらには一切、わからないわけですよ。
こちらに見えた相手の行動は、送ったメッセージに対する無反応。
これ以上でも、以下でもないのです。
こちらのメッセージに反応しないという行動に、相手の本心が出ているわけですね。
そこは素直に受け取ろうよと思えるようになったのです。
これを無理に解釈して、相手を良い人だと思い込む必要はありません。
どう取り繕ったところで、行動に出てしまうのです。
現実を直視する「強さ」
私だって、相手を良いものとして解釈したい。
自分に向けられた行動は悪意に基づくものではないと、そう思いたい。
でも、それは結局、自分自身を蔑ろにしているという事ですね。
自分が相手の行動で傷ついたことよりも、相手の行動を無視して相手を良く思い込もうとする。
相手の行動に悪意を感じるというのは、つらいです。
でも、そこから逃げていてはいつまでたっても自分が救われない。
相手の悪意を直視するには、強さが必要です。
ぜひその強さを持ちましょう。
難しく考えるのではない。
相手の行動を受けた自分がどう感じましたか?
つらいいとか、悲しいとか、寂しいと思った時は、自分が傷ついているのです。
相手の行動によって、自分が傷ついた。
それ以上でも以下でもないのです。
その現実を受け入れる強さを持ちましょう。
【編集後記】
昨日は早朝にブログ。
以降はオフとし、夜半にブログ更新。

