過去と未来の関係
おはようございます。東京・練馬の税理士、村田龍矢です。
今日は、過去をどう思うかについて。
過去からの延長線が今の自分である
この世の中に生まれて36年経ちました。
36年の中では、それは色んな事がありました。
ポジティブなことも、ネガティブなことも。
そして、ネガティブなことは、
「時間が解決する」
という言葉もあるように、意外と覚えていないものです。
そのことはある意味「救い」なのでしょう。
ネガティブなことを、ずーっと覚えていなければならないというのでは、あまりにもしんどいですね。
ただ、忘れてしまったとしても、ポジティブ・ネガティブ両方含めた過去の全てが現在の自分を作っています。
過去に起きた出来事が一つでもなければ、今の自分の状態とは違う人間になっていたのかもしれません。
そうなると、過去からの延長線上に今の自分が立っているのは間違いないのかなと思います。
意味合いを決めるのは自分である
そのイベントが起きた当時。
そのときは良かった、ラッキーだったというものが、年数がたって振り返ると全然違う評価になる。
その逆に、そのときは大変だった、しんどかったというものが、振り返るとポジティブな評価になる。
こういうことは、普通にあると思います。
不思議なもので、起きたイベント内容は何も変わっていないのに、
今の自分の状態で振り返った時に、意味合いが全然違うということ。
事実は事実として、それに対する自身の評価は定まっていないのです。
明日にはまた変わるかも。
そして、自身の評価が定まっていないということは、
過去に対する評価は自分で決めてもいい
ということになります。
過去の自分が今の自分につながっているのは間違いないけど、過去の自分をどう意味づけるのかは自分で好きに決めていい。
その時に、
過去の自分を否定するのか、あるいは肯定するのか。
どちらになるのでしょうか。
そして、未来は何も決まっていない
段々SFっぽい話になってきましたね。
ただ、これは当然のことで、明日の自分がどうなるかは明日にならないとわからないものです。
「予定」は入っているでしょうが、「予定」はあくまで、今の時点でそうなるはずだという意味合いでしかないのです。
つい、こう思いがちです。
「過去からの延長線に今の自分がいて、そのずーっと先に未来の自分がいる。」
これは正しいのか。
未来の自分と過去の自分は、今の自分を通して繋がってはいないのです。
私の場合は、公務員として働いていた過去があって、そのおかげで今の税理士としての自分がいます。
それは間違いがない。
でも、公務員として働いていた「当時」、その延長線上に税理士としての自分がいたのかどうか。
普通に考えて、いないわけです。
公務員の延長線上には、定年まで働いて退職して余生を過ごす未来が待っている。
ただし、延長線上の未来に進むかどうかは、今の自分が選択できるのです。
折れ線グラフ未来な人生ですね。
自分の進路を自分で変えてもいいわけです。
だから、今までの人生を振り返って、これからの人生もこの延長線で進むのかと思っている方、
そんなことはないですよ、とお伝えしたい。
自分の未来は自分で決めることができるのです。
(もちろん、無理やりに延長線を変える必要もありません。変えることが常に正しいわけではありません。)
【編集後記】
昨日は朝一のブログ更新。
午後からはクライアントの決算、申告書作成とご請求を。
夜は「三國無双ORIGINS」。劉備ルートを終了。