「バイタリティー」とは何だろうか、考えてみる
おはようございます。東京・練馬の税理士、村田龍矢です。
今日は、「バイタリティー」とは何だろうか、考えてみる、というお話。
世間がもてはやす「バイタリティー」への違和感
ふと、「バイタリティー(活力)」とは何だろう、と考えることがあります。
一般的に「あの人はバイタリティーがある」と表現されるとき、
多くの人は、声が大きく、常にエネルギッシュに動き回り、連日連夜の飲み会にも疲れを見せずに顔を出すような姿を思い浮かべるのではないでしょうか?
世間がもてはやす「活力」とは、得てしてこのような「外に向かって発散し続けるエネルギー」のことのように感じます。
私は、バイタリティーが「ない」方だと見られがち。
新人時代に、職場の大先輩から
「君の声が聞こえてこないぞ」
とよくわからんアドバイスをもらいましたが、
「元気でへこたれない、行動力のある人間」
というものは組織では重宝されますね。
私の個人的感想ですが、
組織の若手向けの研修資料や広報物なんか見ていると、
だいたいは「元気で、失敗してもへこたれない若手」が登場するもの。
それ以外の若手のキャラクター像って見たことないような・・・?
こういうところに、組織が求めている人材像の本音が出ているもの。
(今では、
自分一人で仕事を抱えないで、もっと先輩たちにドンドン話しかけて仕事の相談をして知恵を貸してもらいなさい、
という意味だったのかなと理解できます。
だったら、そう言ってくれればいいじゃない笑)
普通の人は絶対にやらないこと
私自身はそうした「体育会系的」なバイタリティーとは無縁の人間です。
大勢の人が集まる場所は得意ではありませんし、不要な外出より一人で静かに過ごすことを好みます。
では、私にはバイタリティーがないのでしょうか?
そうではないと思っています。
世の中には、外に向かって発散するエネルギーとは全く質の違う、
「内に向かって静かに燃え続けるバイタリティー」
というものが確実に存在します。
例えば、私の日々の習慣の一つに、
「購入した税務会計の専門書や、ビジネス・思想哲学の古典を、わざわざ全冊スキャンしてPDFに変換する」
というものがあります。
分厚い専門書を裁断し、スキャナーに通し、データ化していく。
おそらく、普通の人はこんな面倒なことはやらないんじゃないかと思います。
なぜ、そんな途方もない作業にエネルギーを注ぐのか。
それは、自分の知識のすべてが「デジタル上の書斎」に存在し、いつでもどこでも一瞬で呼び出せる環境を創り上げるためです。
さらに言えば、ただ保存するだけではありません。
そこにAIをかませることで、難解な知識を整理し、深く理解し、自分自身の「血肉」とするための手助けを得ることができるのです。
一人の部屋で膨大な書物をデータ化し、いつでも引き出せる自分だけのデジタル書斎を構築していく。
この知的興奮と快感たるや。
本当に「なんていい時代なんだ」と心の底から思います。
静かに、しかし決して消えない「青い炎」
一見すると、部屋にこもってスキャン作業やAIの構築をしている姿は、非常に地味で静かです。
友達いないのかとか、クライねとか、言われそうです笑
しかし、この理想のデジタル書斎を作り上げるためには、
膨大なエネルギー、活力が必要なのです。
想像できますか?
毎日、夕食を摂った後の夜中。
コツコツ書籍を裁断し、スキャナーに通し、PDFに変換されているかを一冊一冊確認していく。
OCRをほどこし、タブレット端末で検索できるように処理も行う。
こんなことが、バイタリティーがない人間にできるものなのか。
そしてこの内に秘めたバイタリティーが、いざという時にお客さまの課題を解決する武器になると、信じています。
外に向かって派手に発散するのではなく、自分の内面に100%の純度でエネルギーを注ぎ込み続けること。
これが、私のような不器用な人間が生き抜くために必要な、「内面へのバイタリティー」の存在だと確信しています。
外へ発散するバイタリティーが「赤い炎」だとしたら、内面へのバイタリティーは「青い炎」でしょう。
でもご存じですか?
赤い炎より、青い炎の方が温度が高いんですよ?
【編集後記】
昨日は午前中は出張。
移動中に研修動画の視聴。
ランチを済ませ、お客さまの事務所へ。
会社の決算申告について。
帰宅後、ブログ更新。
別のお客さまのExcel会計。

