失注と「ご縁」
おはようございます。東京・練馬の税理士、村田龍矢です。
今日は、失注とご縁について考えます。
時には?失注もある
税理士業もお客さん商売です。
「先生」と呼んでいただくこともありますが、のんびり構えていて売上が入ってくるわけではありません。
税理士報酬も所詮は「事業コスト」。
「相見積もり」を取られることもあります。で、相見積もりを取られるパターンでは、基本的に負けてます。
マンパワーが圧倒的に低い弊事務所。「低価格でたくさん」という仕事はこなせません。
なので、価格が安いところに負ける部分はあるんでしょうね。どうしても。
最初の方は失注、となるとやはり落ち込んだものです。
地盤も人脈もない状態で開業したので、当然最初から仕事があるわけではなく。
仕事何とかしないとな~という焦りの気持ちもあり、「失注」という言葉が結構キツク感じられました。
「ご縁」がなかった
今でこそ思うのは、あそこで焦って安値でメニューを出してしまい、クライアントの数ばかり増えたものの、
メチャクチャ忙しいわりにたいして金銭的に余裕がない、と言う状態にならずに済んでよかった、ということ。
今では、毎日テレビゲームで遊べるくらいに時間に余裕があって、毎日何らかの仕事もある、という絶妙な状態です。
そこで思ったのは、「ご縁」の存在。
失注した理由は、ご縁が無かったからだ、と。
そう思うようになりました。
自分が失注したということは、別の誰かが仕事を受注できたということ。
つい、自分を責めたくなるものです。
もっと値段を下げればよかったとか、
あそこで別の回答をしておけばよかったとか。
「反省と分析」は必要かもしれませんが、自己嫌悪するまで自分を責めるのはやりすぎです。
なので、反省と分析と次回への対策を考えた後は思考を切り上げて、
淡々とご縁が無かったと頭を切り替えましょう。
ご縁が無かった相手のことをいつまでも考えても仕方がありません。
ちなみに、失注した相手に対して悪態をつくのは最悪ですね。
失注した場合、依頼を見送る旨のご連絡をわざわざいただくこともあるのですが、
その時にポジティブなお返事をするように心がけています。
ご縁が無いのは、「今」の話。
未来永劫にわたって、二度とご縁がないと決まったわけではありません。
もしかすると、失注した相手でも何年か後に仕事が始まる可能性もゼロではありませんので。
ご縁ができる可能性を自分からぶった切りに行く必要はないでしょう。
顧客リストに対しての考え方
空きを嫌う、と言われている顧客リスト。
その言葉を知った当初は、ふーん?という感じでしたが、
最近はそういうこともあるのか、と思うようになりました。
この辺りでスケジュール帳に空きがあるなと思った場合に、ポコッとスポットのご相談をいただけたり、
作業工数が必要なお仕事をいただけたり。
何だかうまく「ご縁」が調整されているのでは、と思うのです。
ただ、こういうものは普段から何かしらの行動を積み重ねている結果、とも考えますので、
特段何もしていないのに、イベントが起きないのは当たり前。
果報は寝てても来ないのです。
行動と成果には時間差があるということ。
そしてその行動も、これをやればいくら売上が上がって、とか考えてではなく、
毎日、やるべきことを、淡々とやる
というだけ。
何もしないのに、うまくご縁の調整が働くわけではないのでしょう。
なので、焦らず、突発的な行動をすることなく、
淡々と行動を積み重ねましょう。
そうすれば、時間差で「ご縁」という形で成果が出るかもしれません。
そこはもう、「おまかせ」です。
【編集後記】
淡々と行動するためには、「お金の余裕」が必須です。
お金に余裕がないと、心の余裕もなくなり、淡々となんて言ってられません。
なので、これから独立するという方、
ぜひ開業資金をたっぷり用意して行動を開始しましょう。
生活費一年分の貯金は欲しいところです。
さて、昨日は朝一のブログ更新。
お昼までに細々とした用事を済ませる。
午後からはeLtaxとの格闘の続き。代理送信に苦戦。でも、夕方までに何とか。
夕食後は「三國無双」と「モンハン」と少しずつ掛け持ちで。