AIは思考の外付けパーツ
おはようございます。東京・練馬の税理士、村田龍矢です。
今日は、AIは思考の外付けパーツ。ディスカッションを重ねて出したアウトプットは「自分の成果物」である、というお話。
技術が変われば、創り方も変わる
生成AIが実用的な道具として社会に浸透し始めた2023年以降、こんな言説を耳にするようになりました。
「2023年以降に出版された本は、AIが内容に介入しているから価値が下がる」
「AIを使って文章を書いていると、どこまでが本来の自分のアウトプットで、どこからがAIのものなのか、線引きが分からなくなってしまう」
確かに、言わんとしている感覚は分かります。
AIが社会に広まる前と後では、あらゆる成果物の作成・編集プロセスは劇的に変わったのではないでしょうか。
AIから出力される言葉やアイデアは、かつて自分の脳内だけで何時間も唸って絞り出していたものとは、肌触りが違うと感じることもあるかもしれませんし、
そういった他人が作った文章を読んですさまじい違和感を感じることもある。
しかし、立ち止まって考えてみたいのです。
「書籍であれ何であれ、成果物の作成過程は、時代に応じて変わっていくのが自然なのではないか?」と。
かつて文字を手書きしていた時代からワープロが登場したときも、図書館に通い詰めて調べていた時代からネット検索が当たり前になったときも、きっと同じような批判があったはずです。
「機械に頼った文章には魂がない」「自分の足で調べない知識には価値がない」と。
けれど今、パソコンで文章を書いたからといって、その本の価値を疑う人はいません。
道具や編集過程は、時代とともにアップデートされていくのが当たり前です。
AIは「自分の外付けパーツ」
「本来の自分が出したものか、AIが出したものか」と悩むのは、AIを自分の外側にある「別の誰か」として切り離して見ているからではないでしょうか。
私自身の実感から言えば、AIは「自分の外付けパーツ」です。
パソコンに外付けハードディスクを繋ぐように、自分の脳の外側に超高速で対話をしてくれる思考パーツを増設しているような感覚です。
こんなにも思考を深め視野を広げてくれるパーツがあるのに、わざわざそれを使わずに仕事をするなんて、単純に「もったいない」と感じてしまいます。
実際、AIを外付けパーツとして使いこなすようになってから、自分が処理できる情報量は格段に上がりました。
本やWeb上のテキストだけでなく、長時間の動画や音声データなども題材にし、AIと多角的なディスカッションを重ねる。
膨大な情報を一瞬でテーブルに乗せ、「この論点についてどう考えるか」「この違和感の正体は何なのか」と、AIを相手に議論を尽くすことができるようになったのです。
AIは疲れませんし、いつまでも相手になってくれますからね。
一人で本を前に唸っていた頃とは、インプットの幅も思考の回転速度もまるで違います。
さんざん格闘した末のアウトプットは、当然「自分の答え」である
AIにボタン一つで丸投げして出てきた文章を右から左へコピペしているだけなら、それは確かに「自分の成果物」とは言えないでしょう。
しかし、膨大な情報をもとにAIとさんざんディスカッションを重ね、思考を深掘りし、自分の価値観で言葉を選び取って世に出している。
その過程にどれだけAIが関わっていようと、そこで導き出されたアウトプットは、当然「自分自身の答え」です。
今はまだ過渡期なので、「AIを使って仕事をしている」ことがどこか手抜きのように見られることもあるかもしれません。
しかし時代が進めば、むしろ「なぜAIを使わずに仕事をしているのか」と、使わない方がネガティブに評価される時代がやってくるでしょう。
そうなれば、成果物にAIががっつり関わっていることなど、議論の余地もないくらい当たり前の日常になるはずです。
外付けパーツを存分に使いこなし、思考をどこまでも拡張していく。
線引きに囚われることなく、堂々と「自分とAIのディスカッション」から最高の価値を生み出していきたいと思います。
【編集後記】
昨日は午前中はブログ更新。
午後からはお客さまの事務所へ。決算申告のご報告。
帰宅後、別のお客さまと電話。
申告ソフトの設定など。


