執着を手放すには、熱意を解放せよ
おはようございます。東京・練馬の税理士、村田龍矢です。
今日は、執着を手放すには熱意を解放せよ、というお話。
断捨離には「手放し」が必要
昨日の記事で、断捨離には「作業時間の確保」と「執着の手放し」が必要と書きました。
作業時間をどうやって確保するのか、についてはタイムマネジメントの書籍やコンサルタントの方にお任せするとして、
執着を手放すにはどうすればいいのか、について書いていきます。
思うのは、執着するということはとてつもなくエネルギーが必要なのです。
「どうしても○○したい」
「何としても○○を手に入れたい」
という感情は、聞いていて何だか高出力っぽく感じませんか?
このエネルギーの源泉は何か、と考えたときに、「熱意」というものがあるのではないでしょうか。
執着という言葉は、熱意という言葉に変換しても、ある程度は意味が通じると思うのです。
何かをしたいという熱意(執着)、
あるモノを入手したいという熱意(執着)。
なんとなく、そんな感じしません?
「熱意」を解放せよ
執着はどうやって誕生するのか?
大元は、熱意なのではないでしょうか?
とある対象に対して、熱意を持つ。
でも、何らかの事情があってその熱意がうまく自分の中で消化されることなく、心の奥底に溜まっていく。
溜まって熱意は段々と発酵していき、最終的には腐敗して執着となる。
執着は未消化の熱意だ、というのが個人的見解です。
なので、執着を手放す第一歩は、熱意をきちんと消化してやって、
自分自身がもう満足だと言えるようになること。
それをせずして執着を手放すなんて、結構ハードル高いです。
「手放し」とは捨てることではない
執着を手放すには、熱意を解放すること。
ひいては、熱意の対象に向き合い、時間とお金とエネルギーを注いであげることです。
そうやって熱意を少しずつ少しずつ、自分のなかから解放していく。
そうしていくうちに、ある時、
「あ、もうエエわ。」
と思う瞬間が来るのです。
そうやって、ようやく執着を手放すことができるようになります。
私も、とあるコンテンツを追いかけています。
ちょうど、コロナが始まったころから本格的に追い始めて、
CDも買ったし、ライブにもちょくちょく行きました。
足掛け6年間、全力で熱意を傾けたわけです。
でも最近になって、もういいかな、と思うようになったのです。
これまでと同じ熱意を傾けて、追いかけ続けることが厳しくなってきたのです。
恐らく、自分の中に特定のコンテンツを追ってみたいという熱意があったんですね。
その熱意が、消化され切ってしまった。
だから、追いかけることが厳しくなった。
なので、ここで「手放し」なのです。
人間が変わってしまったように、買い込んだ関連アイテムのほとんどを処分しましたから。
自宅がかなりスッキリしました笑
これは、「捨てる」こととは違います。
目の前から消し去って、無かったことにするわけではありません。
楽しかった思い出や経験を大事にして、でも、これまでと同じだけの時間とお金をエネルギーを投入しない。
だから、これからも曲だって聞くし、ライブはオンラインで見ることはあるかもしれない。
単に、これまでと同じような付き合い方はしなくなった。
それだけのことなんです。
じゃあ、これからどうするの?
熱意を失って生きていくわけではありません。
また別のものに熱意を向けるだけです。
熱意は新しく湧き上がってくるもの。
そこに気付き、目を向けてあげる。
せっかく湧き上がった熱意を無視すると、何年か経ってから自分に攻撃されます。
こんな執着になってしまって、どうするんだ、と。
自分の熱意を、大事にしてあげてください。
発酵して、執着にしてはいけませんよ。
【編集後記】
昨日は午前中はブログ更新と自重トレーニング。自宅の整理。
午後からはクライアントの申告作成。図書館。

