日常の期待値を上げすぎていないか
この日常は当たり前なのか
我々が生きている世界は、本当に便利だなと思います。電車は時間どおりやってくるし、スーパー・コンビニでは品物がちゃんとそろっているし。何だったら家から一歩も出ずに、インターネット通販を利用すればほしい商品をきちんと自宅まで届けてくれます。しかも早ければ翌日に。
ただ、この当たり前は、見えないところで当たり前を維持するために働いている方たちがいてこそ。当たり前を維持するにはすさまじい労力が必要で、見えていないからこそ、このことを忘れてはいけない。
期待値は下げるくらいでちょうどいい
まぁ、そんな大げさ話ではなく。昨日、外出した際にバスを利用しました。このバス、まぁ時刻表通りに来たためしがない。私が利用するときは、基本的に遅延します。
そうすると、イライラします。いつ来るんだ、と。また、あせりも覚えます。予定に間に合わないんじゃないかと。
その時にふと思いました。なんでイライラするのか、と。自分の中では、交通機関が時間通りにやって来ることが「当たり前」になっているんですね。その「当たり前」が乱されることに対する不安もあるでしょう。
では、どうするか。運転手さんにおこる?まさか。別に遅れたくて遅れているわけじゃないでしょう。交通事情もありますし。
「バスは遅れるもの」と自分の中の当たり前を書き換えます。遅れることが前提なら、早めの行動を取るようになります。バスが遅れても、何とも思いません。時間通り来たら、ラッキーと思えばいいのです。
このように、自分の中の当たり前を書き換えてしまえば気持ちがラクになります。
サボっていいとは言っていない
ただ・・・、だからと言って自分の仕事をサボる口実にしてはいけません。みんなが仕事をサボるようになると、この社会、底が抜けてしまうでしょう。
電車バスは来ない。コンビニ・スーパーに行っても商品がない、というか店が開いてない。ネット通販で注文してもなかなか到着しない、あるいはそもそも来ない。根本的に通販サイトがメンテナンスされていなくて閉鎖されるかも。
自分自身の仕事には全力を尽くす、そして周囲への期待値は上げない、というくらいでちょうどいいでしょう。
【編集後記】
昨日は朝一のブログ更新。
午後からは単発相談のお客様と面談。
その後は買い物。都心の本屋は大きいなぁ。
そして夜は蔵書の自炊とモンスターハンターライズ。ナルガクルガコワイ