「書くこと」の意味
おはようございます。東京・練馬の税理士、村田龍矢です。
今日は、「書く」ということの意味について。
表現の一種
独立して以降、毎日ブログを更新しています。それこそ文字通り、土日祝日もお盆年末年始も関係なく。
そして今日も、ブログを更新しています。
ここまで続いているのは、なんだかんだ自分に「合っていた」からでしょう。
最近は個人で様々な情報発信手段があります。
動画もありますし、音声配信もあります。個人でセミナー開催、というのも。
「書く」というのは表現の一種ではありますが、自分にとってどういう意味があるのだろうか、と考えてみました。
書くことの意味
まず、アウトプットが目に見える「カタチ」になる、ということ。
自分の頭の中身や人から聞いたこと、学んだことはそのままでは「カタチ」になりません。
書くという行為をすることで「カタチ」になるように思います。
そして、「カタチ」にする行為の中で、内容を整理することができます。
書く、ということは、最終的に文章にすることだと私自身は思っています。
としますと、単純に書き連ねていけばいいかというとそうではなく、最初から最後まで意味が通るような整理された文章にすることが望ましい。
そのような意味が通る整理された文章であれば、長時間たった後に見返しても内容が理解できる。
と、このような感じで文章を書いています。
税金に関しての色んな情報をブログに書いているのは、税金について知りたい方のため、ということもありますが半分くらいは自分の勉強ためでもあります。
自分の学習の場としてのブログであり、文章を書くということでもあります。
「書く」ことは万能ではない
ただし、何でも書けるわけではありません。
「内容」ではなくて、文章にすることが難しいものもあります。
例えば、条件が複雑な場合分け。
これを、
AがBの場合には○○になる。
AがCの場合には○○になる。
・・・
こういう場合は、イチイチ文章にするよりも、表形式にしてまとめてしまって、視覚にダイレクトに訴える方が分かりやすいように思います。
あるいは、イラストを用いて図表にしてしまった方が、「一目でわかる」というのもあるでしょう。
・・・単純に面倒くさがって本人がやらないだけ、というのもあります。
だから、私のブログは文章ばかりなのです。
手書きだったら、図表も書きやすいんでしょうけどね。
パソコンを使うと、不器用な私にもきれいな図表を書けるのでしょうが、なんとも。
わかりやすさと、面倒くさいのバランスが自分のなかで取れるくらいに「文章」での発信をしていくということで。
【編集後記】
昨日は朝一のブログ更新。
午後からはエクセル入力と図書館へのお出かけ。