断捨離と時間
おはようございます。東京・練馬の税理士、村田龍矢です。
今日は、断捨離と時間についてのお話。
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「収集癖」
があるので、困ったものなのです。
最初の入り口は「興味関心」から入ります。
デアゴスティーニって、今もまだあるそうなんですが、かつて学生時代に定期購入して買い集めていました。
それは社会人となってからも同じで、
仕事関係では、税務雑誌。
メジャーどころ?で3冊、月刊紙が出ていますが、毎月大手の本屋に通って買っていたのです。
で、読んでいるのか、というと、ほぼ読まず。
どうしているのかというと、小型のスキャナーで読み取ってPDFにしてハードディスクに保存しているのです。
「集めていれば、いつか記事を読むこともあるだろう」という考え。
実際に、何年か前の号に書いてある記事が仕事で役立つこともあったので、まったく無駄とは言えないところが怖い。
趣味関係では、グルメ雑誌。
本屋に行って、たまたま買ったことを皮切りに、毎月買い始めてしまうのです。
ただこれも、「読んでいて楽しい」という効用もあるので、無駄遣いではないと自分に言い聞かせつつ、買っています。
買い続ける=惰性?
「買うの止めればいいじゃない、大して読み込んでいないんでしょ」
その通りです。
購入するのをやめれば、毎月1万円以上の節約になります。
でも、そういう問題ではなく、中身を読んで楽しんでいる自分もいるのです。
だから、他人様から言われて購入を止める、という選択肢はないのです。
とはいえ。
定期的に自分に問いかけてみる必要はありますよね。
「それ、本当に買い続ける必要あるの?」と。
書籍はまだいいのです。PDFにしてしまえば、物理的には消えてなくなりますから。
この点、一昔前なら家中が書庫になって大変なことになっていたでしょうし、技術の進歩に感謝。
でも、他のもの。
例えば、CDとか。
新曲が出るたびに買っていて、これが結構な枚数自宅にあるのです。
配信ダウンロードでもいいのですが、
CDを買うと「ライブの抽選申込券」がついてくるのがくせ者。
ファンとしては、一度でも多く抽選の機会は欲しいもの。
で、CDを買って、曲をスマホに取り込んで、ライブに申し込んで・・・。
あと、どうなるか?
CDをしまいこんで、おしまい。
そんな感じで、大量にCDを抱え込んでいたのです。
断捨離には「時間」が必要
ということで、現在、絶賛断捨離中なのです。
不思議に思いますよ。
よくこんなにモノをしまい込んでいたなと。
ある意味、デジタル化が進んだおかげで思い切った処分ができるのです。
なんとなくしまい込んでいた雑誌は、スキャンしてPDFに。
購入したCDはスマホに楽曲を取り込んでしまえば、用はない。
思い出の小物に関しては、もう使わないなというものは、スマホで写真を撮ってポイ。
年末にかけて、コツコツと断捨離を進めていく所存です。
ここで思ったこと。
断捨離には「2種類の時間」が必要なのです。
まず一つ目は、当然、断捨離を行うための「作業の時間」。
私物を整理する時間が無いことが、モノをため込む大きな原因です。
今時の社会人、忙しいんです。
プライベートの時間なんて、ほとんどありませんでした。
休日はほぼ休み、たまにちょっと勉強するだけ。
自宅の整理なんて、考えもつかないです。
なんとなく、生活できているし、まだ収納スペースはあるからいいやろ、くらいな感じです。
私自身、最近少し自分に対して時間をかけることができるようになって、ようやく断捨離を、となったのです。
そして、もう一つの時間。「執着を手放す時間」。
熱意をもって趣味に向き合っているとき。
その時に、断捨離したら?と言われたら反発するでしょう。
熱意がある=執着。結構近いんではないでしょうか?
そのモノに執着しているからこそ、とてもではないが捨てるなんてできないのです。
悲しいことながら、熱意はいずれは冷めるもの。執着心も薄れていくはずです。
そのためには、時間が必要です。
私自身、買い集めたCDを、10年ほど経過してようやく捨てることができたんですから。
執着心が薄れた判断基準。
そのモノを見たときに、「もういいや」とチラッと思えたかどうか。
こう思ったときが、断捨離の時です。
【編集後記】
昨日は午前中はブログ更新と自重トレーニング。
午後からはメール返信や電話連絡。
夕方以降に、オンラインで単発相談を実施。

